魔法のレンジ


夏のボーナスが無事支給されたので、妻のたってからの願いにより最新式の電子レンジを購入した。
この最新式はなんだかよくわからないが、スチームなんぞが出て揚げ物の無駄な油も落とせて大変健康的であるらしい。

それにしても届いたばかりの真っ赤なレンジは、我が家のキッチンの白物家電の中で一種暑苦しいまでの華やかさを放っていた。
設置は自分でやるからと、販売店から諸費用をケチった手前、細かい初期設定は自分でしなければならない。
細かい設定といってもまあ日時設定くらいだ。
「今日は、2007年の9月の・・・」と手前のパネルで操作していたのだが入力がうまくできない。
どうしても12月24日としか入力できない。
「おいおい、いきなり初期不良かよー」 と僕がこぼすと、妻は「別にレンジに日付の設定はいらないんじゃないの?」 といたっておおらかだ。
「要はレンジの機能がちゃんと動いてくれればそれでいいのよ」
「いやまあ、一番よく使う人がそれでいいと言うならいいんですけどね」
幸い、時間はちゃんとセットできたので時計代わりにはなる。

とりあえず記念すべき第1回目の操作として、スーパーで買った3個¥100の特売牛肉コロッケをレンジにセットする。
自動設定で待つこと30秒。レンジを開けた瞬間、僕たちは顔を見合わせた。
3個のコロッケの姿はどこにもなかった。
その代わりに、ジュウジュウと肉汁したたり落ちる食材がレンジの庫内一杯に詰め込まれていた。
「これは・・・ローストチキン?」と僕。
「ご丁寧にリボンまで付いてるわ」と妻。
それはそれは美味しそうに皮がパリッとしてそれでいてジューシーって感じのローストチキンを取り出したが、コロッケの姿が見えない。
「すごいわ、さすがに最新式。 料理がグレードアップされて調理されるのね」 と妻は何だかおかしなことを言っている。
「そんなわけないだろ」と僕は冷蔵庫の残り物を次々とレンジで温めてみた。
するとすると、きんぴらごぼうがフォアグラのテリーヌとなり、アジの一夜干しがサーモンのパイ包みとなり、チンゲンサイの煮ひたしがキノコたっぷりのグラタンとなり、あげくのはてには、週末作って冷凍しておいたギョウザが雑誌でしか見たことがないシュトーレンと呼ばれるであろうお菓子となり、甘い香りが部屋に広がった。

そして、食卓にはずらりと豪華メニューが並んだ。
どうにもクリスマスのパーティーにしか見えない。
「すごいすごい、毎日がクリスマス・パーティーだわ」と妻は喜んでいるが、「だめだ、このままじゃ和食が食べられない。 このレンジおかしいぞ、不良品だ、回収交換だ」 と僕は電気屋に状況を電話して、すぐに交換品を持ってくるように言った。

「せっかくだから、温かいうちにこの料理をいただきましょうか」
「そうだね。 まあ、元はうちの食材なんだからなあ、多分」
なんとそれらの料理は今まで外食して食べたどの料理よりもとびきりおいしかった。 
とても元がうちの冷蔵庫の残りの食材とは思えない深い味わいだった。


ピンポーン、と呼び鈴が鳴る。
「スミマセーンデス」と電気屋がやってきたようだ。
玄関を開けるとそこにはどこかで見たような巨漢のおじいさんが立っていた。 おじいさんは眼鏡をかけて白い立派な髭をたくわえ、しかも真っ赤な作業着だ。
「スミマセーンデス。 チョット、メーカーノホウデ、テチガイガアッタミタイデス」
とそのおじいさんは重い重いそのレンジを軽々ともちあげて、白い大きな袋にポイと放り込んだ。
「カワリノレンジハ マタアシタ ベツノモノガ ハイタツイタシマスデス」
そう言って、その人は白い大きな袋を背負って、これまた真っ赤なスクーターにまたがりエンジンをかけた。
その大きなうしろ姿を黙って見送る妻と僕。
真っ赤なスクーターはしばらく前へ進んだかと思うとしだいにゆっくりと空へ舞い上がる。
シャンシャンシャンシャンという鈴の音とともに、その赤い人は残暑が厳しい夏の空へと僕らの視界から消えた。