ソラミミと虹のバナナ


ソラミミ
それはわたしが昔々に飼っていた犬の名前。
今では珍しくなりつつあるが、当時はあたりまえの白い雄の雑種だった。
特徴はその大きな耳。
「その大きな耳で空も飛べそう」ということで母が命名した。
そのネーミングのセンスのよさにわたしは母を少し尊敬し、「それならダンボ!」と対抗し、却下された父を少し哀れに思った。
ソラミミは少し内弁慶なところはあったが素直で賢い犬だった。
めったなことでは吠えなかったが、家の前を野良猫が悠然と通り過ぎるのだけは耐え難いようで、その時だけは張り切って吠えた。
父は家の前を指差して「あっ、猫だ!」と居もしない猫の情報をソラミミに与えてよくからかった。
真面目なソラミミは家の前を右往左往して必死に猫の姿を探すのだが当然見つかるはずもなく、わたしは「うんうん、いないね」と悲しそうなソラミミをなだめた。
またソラミミはどうしたものかバナナが大好きだった。
大層喜んで、ニチャニチャハグリと食べた。
あまりバナナが好物という犬の話を聞いたことがないのだが、バナナの「バ!」の一言は散歩の「さ!」の言葉よりも強く反応し、そわそわした。
ソラミミの目の前でバナナをちらつかせ、ゆっくりゆっくりと皮をむいてあげるとき、めったに吠えないソラミミが辛抱たまらんとばかりに「ワン!」と一声鳴き、そのゴムパッキンのような口元からつーっとよだれが垂れたものだ。
そして「さっさとむいてあげなさい!」と母によく叱られた。
ある時、川沿いの道をいつものようにソラミミと散歩をしていた。
そしていつものように途中のコンクリートの堤防の段差のところでわたしとソラミミはゆっくりと腰をおろして川の流れをみつめた。
ふと顔をあげると、遠くの山を背景にきれいな虹がかかっているのが見えた。
「虹だね」とわたしはソラミミに顔を向けると、ソラミミも「そだね」って顔をした。
そしてふたりでゆっくりじっくりとその虹を見ていた。
普通、虹はどのようにして消えていくのだろう。
今まで、完全に消えるまではじっと見たことはなかった。
ふつうは全体的にぼんやりと薄くなって消えていくのだろうと思っていたけれど、そのときの虹は少し予想とは違った。
虹の両端部分からゆっくりと消えてゆき、虹色をくっきりと保ちながらもそのアーチを徐々に縮めていくのだった。<<犬は色盲である>>と何かの本で読んだことがある。
「ソラミミの目にはこの虹は何色に見えているのかしら」などとぼんやりと考えながら川の流れを見ていたとき、急にソラミミが「ワン!」と一声鳴いた。
「えっ?」とソラミミの顔を見たとき、口元からつーっとよだれが垂れている。
わたしがもう一度虹に目を向けたとき、消え残りの虹がぽっかりと浮かんでいた。
その残り少ない虹の円弧は、ちょうどバナナの形となっていたのだった。
わたしは可笑しくなり、「あー、ほんとだバナナだねえ。虹のバナナだねえ」とソラミミの頭を撫でた。
ソラミミはわたしのバナナという声に反応して、虹に向かって「ワン!」ともう一声鳴いた。
そしてその虹のバナナもさらには虹のメロンパンになり、やがて完全に消えてしまった。
わたしもソラミミもおなかをすかして、いそいそと家へ帰ったのをよく覚えている。
大人になるとなかなか虹に出くわすことも少なくなった。
当然ながら虹のバナナとはあれ以来再会していないが、不意に虹に出会うと、あのとき口元が緩みながらも真剣に虹を見つめるソラミミの顔が思い出されて今でも切なくなる。