そして僕たちは再びあの鹿の世界へ帰る


「お姉さん、お姉さん、いいのが揃ってますよ、しかし」
奈良町を散策中の私を誰かが呼んでいるようだ。
振り向くと路地陰から鹿が顔を出し、私を呼んでいる。
「姉さんったら、いいのが揃ってますって、しかし」
「えっ、そうなの?」
何が揃っているのかもわからないまま、つい勢いで返事をしてしまった。
「さあ、こっちこっちへ、しかし」と言われ、よせばいいのに揺れる鹿の尻尾に誘われて連れてこられたのは古い民家。
「どうぞ、どうぞ、しかし」 と言われて、古いつくりの玄関から上がってみると正面の壁一面に作りつけられた本棚に本がぎっしり。
様々な大きさの本、雑誌が不ぞろいに詰め込まれている。
よくわからない言語で書かれた洋書が多い中でひときわ目に付いたのは、真正面の位置に並んだ本たちであった。


  『セプテンバー・ファンタジア・フォー・ディアー』
  『宇宙の片隅で風邪をひいた子鹿』
  『鹿の銀河 最終章』
  『そして僕たちは再びあの鹿の世界へ帰る』
  『小鹿岬灯台滞在紀』
  『電脳動物園のみだれ鹿』
  『エレキ鹿の無茶振り人生 残念、切腹!』
  『鹿のおしりはただ金色』


うーん、知っているよ。 私はこれらの本のタイトルを知っている。
すべて鹿賀丈の本だ。
つい最近、わけあって彼のことを調べたのだ。
どれも1960年代にわずかながら鹿賀自身によって自費出版されたのち、鹿賀が謎の失踪、行方不明となった為、今となっては見る機会すらない伝説の本だ。


古書店めぐりが唯一の趣味というイケてない私だが、そんな私でも一度として見かけたことが無い本だ。
唯一商業ルートに乗った本として、カノコ書房という地方の出版会社が出版した 『動物による奇々怪々な短編集』 という編者不詳のアンソロジーがある。
その本の中のひとつとして鹿賀の 「揺れる尻尾に気をつけろ」 という短篇がおさめられている。
これまた稀覯本ではあるが、幸いなことに私の大学の図書館で発見して読んだ。
鹿による鹿のための鹿拳法世界大会において世界各国代表の鹿たちが、反則技自由というルール無きルールの中、国の威信にかけて縦横無尽に戦い、伝説のチャンピオン鹿が選ばれるという話。
類を見ない設定の奇抜さもさることながら、ラストまで一気にたたみ掛けるスピード感あふれる話の展開に、初めてこれを読んだ時、40年以上も前の作品とはとても信じられなかった。
そんなことから、鹿賀丈の本は再出版を望むマニアの声が高いのだが、恐らくは著作権の問題なのだろうが、未だに復刊の話は聞こえてこない。
何せ鹿賀本人が生きているか死んでいるかもわからない状態なのだから。
しかし今日ここにまさにその本たちがあるのだ。


すごいすごい…と私が夢中で次から次へと本を眺めていると、
「まあまあ、落ち着いて、落ち着いて。本は逃げやしませんから、しかし」 といいながら、鹿はきなこ団子とお茶を出してくれた。
むむっ、こいつ私が古書ときなこ団子が好物だと知っての誘いか… などときなこ団子をほおばりながら鹿の思惑を探ろうと表情を見た。
しかし、所詮鹿は鹿であり特に無表情である。
大切な本にきなこが飛ばないように注意して、私は遠慮も無くぺろりときなこ団子を平らげた。
その間、鹿は何をするでもなく私の顔を見ている。
ずずっとお茶をいただいて、私は 「ふうっ」 と一息ついてその鹿に語りかけた。


「それで、何なのかしら。 まさか私にこれらの本を譲ってくれるってことでもないのでしょう?」
鹿はちらりと思わせぶりな表情を浮かべ私を見た。
「場合によってはそうすることも可能です、しかし。 しかし、それにはある条件が必要なのです、しかし」
「ある条件?」私は少し身を乗り出した。
鹿は、咳払いをひとつして、ゆっくりと言った。
「とある人物と会って、我々のメッセージを伝えてきて欲しいんです、しかし」
「とある人物って、やっぱり鹿賀丈?」
「そうです、鹿賀丈です、しかし」
「でも、彼が生きているかどうかもわからないんでしょう?」
私は残りのお茶をずずっとすすって言った。
「さて、そこなんです、しかし」
最近なのですが、とある人物が鹿賀丈の新たな自主制作本 『電気鹿は大仏の夢をみる』 を入手したのです、しかし。 本の発行日は昨年の10月で、鹿賀丈はまだ創作活動をしていることがわかったんです、しかし。 この本は、永遠の命を求める小鹿が機械の体を手に入れる為に旅をするという話です、しかし」<<どっかで聞いたような話じゃないか>> と私は思ったが、黙って聞いていた。
「そしてその中で、少女の旅は大きな木の円柱をくり貫いたトンネルをくぐることによって始まっているのです、しかし」
「ふむふむ」
「つまりは、そのトンネルをくぐると鹿賀の居る世界へたどり着けると我々は解釈しました、しかし」
「ちょっとその解釈にはかなり無理があるんじゃない?」 と私は口を挟んだ。
「でも、長老鹿がそう言うんだから間違いはないのです、しかし」
「そうなの?」
「それで、あなたにそのトンネルをくぐって鹿賀に会ってきてもらいたいんです、しかし」
「ちょっと待った、そのトンネルって、どこよ?」
「えっ?おわかりにならない、しかし」 とその鹿はやれやれといった感じで首をふり、少し小ばかにしたような顔で私を見た。
「『電気鹿は大仏の夢をみる』 というタイトルだから、そのトンネルは大仏殿の東北の鬼門にある柱にある穴に決まってるじゃないですか、しかし」

思い出した。確かに昔小学校の遠足の時に、大仏殿の大きな柱にぽっかりとトンネルのように掘られた穴をみんなで一人ずつくぐった記憶がある。 少しおでぶな美紀ちゃんが途中で動けなくなって大泣きして、それを見て大笑いしたのを覚えている。
「でもそれじゃあ、今でもあそこをくぐっている観光客やなんかはみんな向こうの世界へ行ってしまって大騒ぎじゃない」
「いえ、それがいつでもいけるわけじゃないんです、しかし。 その本によると朔望、いわゆる月の満ち欠けに関係があるそうなんです、しかし。 そして柱の穴をくぐって向こうの世界へ行けるのはちょうど新月になってからの5分間だけだそうです、しかし。 そして今晩の夜中の2時ちょうどがまさに新月になる時なんですね、しかし」
何だか妙に説得力のある話のような気がしてきた。
「ということはよ。私に夜中に東大寺の大仏殿に忍び込んで、2時ちょうどに柱の穴をくぐって別の世界へ行って、鹿賀丈を探して会ってこいということかしら」
「はい。 そして彼に手紙を渡してきてもらいたいというわけです、しかし。 どうでしょう、お願いできますでしょうか?しかし」
その報酬が鹿賀丈の稀覯本かあ。お金の問題じゃないけれど…1冊3万円として、8冊で24万円?
「いかがでしょうか?しかし」と鹿が食い下がる。
私は、やれやれといった感じで口を開く。
「もっとたくさん、きなこ団子が欲しいわ。夜中まで待つとお腹がすくと思うの」
無表情なりに鹿がニヤリと笑ったような気がした。
「はいはいすぐ用意いたします、しかし」
鹿はいそいそと部屋の奥へ消えていった。


さてさて、これがおかしな冒険のそもそもの始まりだった。

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つづく (かもしれない…)