★Wisteria Waltz ; 藤色ワルツ


地球温暖化だかなんだか知らないが、いよいよ地球がやばいよという状況になってきた。
何でもかんでも空や海にたれ流したって、地球君のふところの広さで何とかしてくれる・・・と思っていたのだ、昔の人は。
でもさすがに地球君も「いやもうダメっす。これ以上むりっす・・・」って感じで、北極も南極もその氷がじゃんじゃん融け始めた頃になって、ようやく対策が取られ始めた。
CO2ガス削減! 工場、自動車などで排出されるガスは厳しく規制されることになったが、それでも追いつかない。
それならと植物のCO2除去作用に頼ろうと大規模な植林をしたり、緑化活動に努めたが、それでも追いつかない。
人間の呼吸により排出されるCO2さえも削減しなければという冗談のようなレベルになった時に、全人類に“プランタ”の服用が義務付けられた。

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“プランタ”のタブレットを飲むとしばらくして頭のてっぺんがむずがゆくなり、双葉が芽を出す。そしてやがて適当に葉を付けて伸びて花をぽっかりと咲かすのであった。
この頭上に生えた植物が個々の人が吐き出すCO2を吸い取ってそれを素に光合成し新鮮な酸素を供給してくれるという優れた仕組みだ(ただし陽のあたる時だけだけれど)。
頭上の花はその人が元気である限り、枯れもせず、倒れもせず、折れもせずと十分な強度で定着していた。
慣れない当初は、皆そのスタイルに戸惑った我々だが、慣れてしまえば案外にオシャレで新鮮な酸素も供給されて快適であった(ただし帽子業界は困っていたようだったが)。
頭上の花の色は人それぞれでその人の個性を反映しているようであった。
真っ赤な花を咲かせた人は情熱系の人が多く、黄色系はほがらかで、青色系の人は冷静なタイプといった感じだ。
まあ例外は多々あるのだけれども。しかしながら誰もが認めて統計的にも証明された事実は“生涯のパートナーは頭上の花の色が同じ人が良い”ということだった。
なぜそういうことがわかるかというと、単純明快で、“プランタ”の服用が義務付けられて飲み始めた時、うまくいっている夫婦やカップルの花の色がみごとに同じ色だったということからである。

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さてさて、私の頭上の花はというと何とも微妙な色であった。青色でもなければ紫色でもない。淡い青色・・・強いて言うなら藤色とでもいう色だった。 
「高貴な色なのよ!」と皆にはいつもそう言っているのだが、あまり見かけないというか同じ色のヒトと一度も出会ったことが無かった。
そして、今日もため息をひとつ、ふたつ、みっつ・・・

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「藤の花の色は英語でウィステリア(wisteria)と言います」とその人は私に言った。
その人の顔がいまいちよく見えないのだが、頭上の花の色が私と同じ藤色だった。
「ああっ、同じ花の色ですね!」と私は思わずその人に言うと、「珍しい色ですよね」と言ってニッコリ笑った(でも顔はいまいちよく見えない)。
私たちは好きな映画の話や、本の話や、文房具の話や、鹿の話や、和菓子の話や、プリンの話をした(でも内容はよく覚えていない)。
夕暮れが迫り始めた頃、どこからともなくどこかで聴いたことがあるようなノスタルジックな感じのワルツ調のメロディが流れ出す。
噴水のある公園の広場で、どこからともなく集まった人々がこの曲に合わせて踊りめる。
よく見ると人だけじゃない。近所の犬も猫さえも上手に立って、楽しそうにワルツを踊っている。
それじゃあ、と私もその人とワルツを踊ることとする。
ワルツなんて一度も踊ったことは無いけれど、不思議と上手に踊れている。
「この曲、何ていうか知ってる?」とその人が言う。
「知らない。でも聴いたことがあるような気もするんだけど・・・」と言うと、「『ウィステリア・ワルツ』といいます。 『藤色ワルツ』といって明治・大正の時代にはやったらしいです。」
「なーるほど、それで藤色の私が気持ちよく踊れるのね」
「そうですね、私も気持ちよく踊れます」と彼も楽しそうだった。
そして私たちは月が傾くまで楽しく踊り続けた。

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残念ながら彼の顔が今もよく思い出せないのだが、どこかでまた藤色のパートナーには出会えそうな気がしている。