世界の果ての書架


「ようこそ世界の果ての書架へ」
古ぼけたフロイト 『夢判断』 氏が僕をすまなさそうにむかえてくれた。
僕は新刊 『夢見る鹿の見る夢は』 である。
ジャンルはSFなのに、司書がなにをどう間違えたのか、僕を哲学系に分類してしまい、 『夢判断』 さんのお隣さんとなった。
「最近、我々はどうにも人気なくってね。このコーナーは人も通らんわい」と同じくフロイトの 『精神分析入門 上』 がつぶやくと「いやまったく」と同じ声で 『精神分析入門 下』 が応える。
「あー今日も閑だなあ。いや昨日も先月も去年もずっと閑だった」と 『方法序説』 が嘆く。
「よう新入りさんよ」と 『私とはなにか』 が僕に語りかける。
「せっかく希望に満ちて本になったのに残念だが、何を間違ってかこの世界の果ての書架に来ちまった以上はもう我々と一緒に朽ちていくのを待つだけじゃて」
少し離れた 『人間不平等起原論』 が追い討ちをかける。
「君なんかは今は白くてつやつやしてるが、ここに来ちまったら茶色のぱさぱさ・かさかさになるのはもうやむを得まいのお」
『孤独な散歩者の夢想』 が控えめに語りかける。
「人生の長い路のはずれに自らの生涯を穏やかに振り返れるのも悪くなかろうて。 ここなら、乱暴者に頁をちぎられることも落書きされることもないし」
「落書きでもされた方が魂に刺激があっていいもんじゃろう。誰でもええからひさしぶりに明るい世界へ出してもらえんかのお」と 『パイドン―魂の不死について』 がつぶやいた。
「“自分探し”というのが流行った時には私らも少しは明るい世界を行き来してたんですけどねえ」と 『私とは何か』 が言うと、みな一様にしんみりした。
もともと大きくもない町の図書館だから、さらにこの一角をわざわざ目指してくる人は皆無に近かった。
僕はこの場所に来てしまった運命を呪ったが、周囲の古株の尽きることないおしゃべりに助けられた。
なんと言っても彼らの教養あふれる会話はジャンルの違う新米の僕には驚きの連続だった。
何せ話題が尽きない、最強の井戸端会議だった。
そこでお返しとばかりに僕は自らの話 『夢見る鹿の見る夢は』 を皆に語って聞かせた。
多くの動物種族が地球の温暖化で絶え去りロボットでのみ過去の姿を再現される世界において、鹿型ロボットが正倉院に眠っていたICチップから高度な知性を発達させ、人間を奴隷にして奈良の平城京跡に新しい国家を作り上げるというお話。
混沌としたラストを語り終えると、皆賞賛の声をあげた。
「何という狂気に満ちた話じゃ」
「ワシの書かれた時代には考えられん文学じゃ」
「思想的奥行きに少々不満もあるが、とにもかくにも意外性に満ちておる」
SFというジャンルに触れたことのない隣人たちの賞賛を素直に感謝して、僕はここに送り込まれた意義を感じ少し涙した。
そんな僕を見て 『方法序説』 が「泣くと本にシミが残るからいかんぞ」とやさしく声をかけてくれた。


ある日の夕方、久しぶりの司書のお姉さんが僕らのコーナーの前にやってきた。
誰かを探しているようだった。
「おいおい、いよいよ誰か不良書籍のお払い箱の時かー」と 『人間不平等起原論』 がつぶやいた時、皆、その身を硬くした。
「あったわ、もう、こんなところにー」とお姉さんの指がぼくの頭を引っ掛けて、ひさびさに明るい光を感じた。
「誰がこんな分類したのかしら」とぶつぶつ言いながら、お姉さんは僕を読もうとする始めてのお客さんが待つカウンターへ僕を連れて行った。
「元気でなー」
「もう戻ってくるんじゃないぞー」という皆の声援が正直背中に痛かった。


その後、おかげさまで僕はいろんなお客さんに明るい世界へ連れて行ってもらっている。
世界の果ての書架では今も最強の井戸端会議が繰り広げられているのだろう。