★『青空への祈り』

夏の勢いはすっかり息をひそめたものの、さえない天気が続いている。
そのさえない天気に引きずられてさえない気分でいると、Kから電話があった。 明日晴れそうだから映画を見に行こうという。
「晴れそうだから映画なの?」と私は腑に落ちない点をKに尋ねると、Kは「そうなんだ、その映画は経営者の気まぐれで晴れの日にしか上映しないらしいんだ」という。 なんでも少し変わった所にある個人経営の映画館らしく、あるじが気に入った映画を気が向いた時しか上映せず、しかも完全予約制らしい。 予約が受け入れられるかどうかは電話であるじとわずかな世間話をして、あるじの気に入られるかどうかにかかっているらしい。
どこかしらその風変わりな映画館の情報を入手したKは (ほんとうに彼はこういうのが得意だ)、 そのあるじと少々の世間話をしてみごとに合格したらしい。 「あるじとどういう話をしたの?」と聞くと、「うーん、良い歯ブラシの条件についての話を少々」と彼は答えた。 なんだそれ?
そして昨日、そのあるじから明日は晴れるから映画を観においでと連絡を受けたという。

「それで、何という映画なの?」
「いやそれが行ってみないとわからなくって」
「・・・?」
「いや、でもかなり良い映画らしいよ。 あくまでも噂だけれども」


翌日、Kと二人、電車とバスを乗り継いで郊外へ出た。 そして、帰りのバスは来るのか?というようなさびれたバス停で降りて、田んぼのあぜ道を並んで歩いた。 澄みわたった秋晴れあり、もう映画なんて観なくてもこのままピクニック気分で歩いていてもいいような気にさえなる。 
歩くこと20分ほどだろうか、私たちは田んぼの真ん中にその映画館らしき建物を見た。 そこに映画館があるといわれてこなければ絶対にわからないだろう。 通常の映画館とは雰囲気がだいぶんと異なるが、よく見ると漆喰の壁に黒板塀でかなりの和風だ。
指定の時間ちょうどに現れた我々をあるじは珈琲でもてなしてくれた。 丁寧に淹れられたであろうその珈琲はふかい味がした。
偏屈そうなおやじという当初のイメージに反して、あるじは始終ニコニコとしたおじいちゃんであった。
「きょうの映画は久しぶりの上映だから、まあ楽しんでおくれ」
そして私たちは奥の薄暗い部屋へ通された。
以外に広いその部屋には、小さな無理して3人座れる程度の赤いベルベッドのソファと前方に小さなスクリーンが備わっていた。 小さいスクリーンといっても通常の映画館としては小さいという意味で、私のアパートの壁に映すよりははるかに大きい。
すぐに上映するからといってあるじはさらに奥の部屋へ消えた。
「結局、何という映画なのかわからなかったね」
「開けてビックリ」 とKは平坦に言葉をはいた。
座ったソファは程よい具合に沈んで私を包む。
ジリジリジリジリジリジリ・・・ と昔の電車が発車する時のような音とともに照明が完全に消された。
スクリーンにはまぶしい青空と異国の風景が映し出された。 マンドリンの音色だろうか乾いた明るい音楽にのせて聞き知らぬ言語の女性の歌声が流れる。
そして「青空の少年」 と日本語の字幕が現れた。 よかった字幕つきで・・・


その映画は一人の貧しい少年の祈りの映画であった。
「つらい時に両手の人差し指を青空に突き刺すようにして祈りをささげろ! そうすると願いが叶う」 それが少年が幼い頃に、ある事件で失踪した父からの唯一の教えだった。
少年はそうして様々な困難・・・吠え迫る野犬の恐怖、教師のいわれない誹謗、友達の理不尽ないじめ、予期せぬ火事場からの脱出、沈むボートからの母親の救出・・・に打ち勝っていく。 いつも青空に祈りをささげながら・・・

ああ、時折見せる少年の笑顔と抜けるような青空が美しすぎる。

ある時少年はアルバイト先のカフェで男達の不穏な犯行計画を知る。 母親も学校の先生も誰もまじめに聞いてくれない。少年はその事を警察に伝えようとするも逆に男達に追われる事となる。 少年はもはや体の一部と化した愛用の自転車に乗り、狭い通りをあざやかに潜り抜け、男達の追跡を振り切り目の前の警察へ駆け込もうとした時に、路地の陰から現れた悪者達に捕まってしまう。
ダメだ・・・と思った瞬間、少年は両手の人差し指を見上げた青空に突き刺すようにして祈りをささげた。 しかし何も起こらない ・・・青空はどこまでも青く広い・・・
と、その時、天からひとりの男が舞い降り、悪者達をばったばったと倒して行くのであった。
その男の横顔はおぼろげな記憶とともによみがえる父のまさにそれであった。
父さんだ! 少年は顔をくしゃくしゃにさせながら、再び青空に祈りをささげる。

そして、青空を背景にしながらゆっくりとエンドロールが流れ始めるのであった。


“なかなかいい映画じゃないか”、 という風に私はKの顔を見て、Kも“そうだろう、そうだろう” と満足げであった。
と、その時だった。
ずい、ずい・・・ というロープを引くような音とともに、頭上からまぶしい明かりが差したのだった。 あっという間に天井の屋根が開かれ、まさに今映画で見た抜けるような青空が我々の頭上に広がっている。
私とKとはまぶしそうに目を細めながらもお互いの顔を見合わせた。 そして「せーのっ!」という息ぴったりの抜群のタイミングで、青空に祈りを捧げた。

私たちの4本の人差し指は見上げた青空にしっかりと突き刺さっていた。