南からの風


そして今日も丘の上に立つ古家のベランダから町を見下ろす。
先週あたりからいつもと少し風向きと風質が変わり始めたような気がする。 何かの変化を予兆する出来事だ。
北北東から吹くやや湿った風を、皆は洗濯物の乾きが悪いだのなんだのとあまり好んではいなかったが、私は特に不快とも思っていなかった。 人付き合いが苦手なうえにもともと変化を好まない性格なので、住み慣れたこの土地の風の変化は普段よりも更に私を内面の世界へ押し込めようとしていた。
しかし、新しく南から吹くカラッと乾燥した風は、乾いた草の匂いや、何かは思い出せないんだけれどもひどく懐かしい匂いがすることがわかり、それはそれで悪くなかった。 そんなことから、変化に対する自己の警戒心を警報から注意報のレベルに落としたが、その思い出せない懐かしい香りが日増しに強くなってきているような気がした。



ある日のこと、玄関先でかちゃかちゃとタイルと硬いものが擦れ合う音がする。 さらにはガリガリと玄関を引っかくような音がする。
“この音には聞き覚えがある” 私は急いでドアをあける。
そこには座って小首をかしげながら私を見上げている二匹の犬がいた。
今となっては珍しい雑種の犬で、昔飼っていて悲しい別れをしたエッケルトいう名の犬とそっくりだ。 でもよく見ると少しだけ背中の茶色の斑の模様が違う。
犬は相変わらずおとなしく小首をかしげながらステレオで私をじっと見上げている。 尻尾を振ろうかどうしようか迷っている気配が感じられる。
私はたまらなくなって、しゃがんでこのエッケルトもどきの二匹の首筋をがしっと同時に抱きしめ、ふかふかとした毛なみに顔をうずめる。 
ああこの匂いだ、けものの匂い、でも全然嫌じゃない。


「よく来たね、お前たち」 私は彼らに話しかけた。 二匹が同時に尻尾をパタンパタンと振りはじめた。
そして、
「私はサンソン」
「私はグード」
二匹が交互に話しはじめた。
「あなたが長い間沈んだ気持ちのまま過ごしているのを見て、エッケルトがいたたまれなくなってね」
「僕たちにあなたのところへ行ってこいと」
「あら、そうなの・・・ エッケルトが・・・」


そしてその日から、南からの風を引きつれてきたサンソンとグードとともに少しだけ新しい生活が始まった。